★Hand Made Radio / 自作・・・それは、夢と感動の世界!


    はじめに


    小学5年(1965年)の7月21日、トリオの並四コイル、アルプスのエアバリコンB-15、それに日電のゲルマニュームダイオードSD-46を木片上に並べたのが、私のラジオライフの始まりだった。クリスタルイヤホンからJOPK(NHK静岡第一放送)が聞こえたあの瞬間、家中に自慢したあと枕元に置き、聴きながら一緒に眠りに就いたあの興奮の夜・・・30年を過ぎた今でもあの感激を忘れる事はない。それは一体何故か・・・その答えは、自らの手を煩わしながら目標に向かうプロセス、即ち「自作の世界」がそこにあったからに違いない。理屈と結果だけでは感動を呼ぶことは出来ない・・・といつも感じているし、それをラジオ作りが教えてくれた。

    AMのSWL/BCL時代、どうしても復調できなかったSSBが、人の声として復調できたあの受信機(1969年10月)。6AR5を終段と変調に使い50MHzAM初交信(1971年1月)。国際電気のメカフィルを使った終段12GB7送信機で、7MHzSSB初運用(1971年5月)。メーカー製に負けまいと製作した1KHzリーダブルVFOで、メカフィルタイプ6146パラレルのHFオールバンドSSBトランシーバー(1972年2月)等々・・・あの頃は全て手作りで、自作のプロセスが最高の教科書だった。

    開局以来27年が過ぎた1997年1月、「最近モノ作りをしてないなぁ」と感じるようになり、再び自作への挑戦を始めた。以下私の自作無線機器の一部を紹介したい。これらの殆どは、実家(清水市/2003年4月より静岡市清水、2005年4月より静岡市清水区)で主の帰りを静かに待っているが、既にスクラップになったモノもある。写真左は、自作無線機の一部(2001年3月18日三男撮影)で、それぞれに懐かしい思い出がある。写真右は1979年7月、初めての転勤直前のシャックで現存する最古のカラー版・・・自作のオールバンドトランシーバ2式と、製作中の7MHzトランシーバーがSGの上に乗っている。オシロスコープはトリオの起動掃引型CS-1557で、就職した1973年の秋に月給の倍額で購入したもの。

    望月辰巳/JH2CLV・・・2001年8月記


  1. 初めてのゲルマニュームラジオ


    1965年(小5)の夏休み、生まれて初めてラジオと言う物を作った(詳細は「はじめに」参照)。もちろんそのラジオは既に無いが、参考になった回路図と実体配線図が残っている。図は、トリオの並四コイル付属の「データシートNo.1」からのコピーである。このデータシートには、真空管式の並四ラジオと、このゲルマニュームラジオの製作例が紹介してあった。小5の少年が、ゴム動力の模型飛行機や電動(マブチモーター)のプラモデルから卒業するきっかけになった、記念すべき回路図と実体配線図である。私のラジオライフの全てはここから始まった・・・・。 部品は清水市宮下町のユニオン無線(深沢氏/JA2DK)から買い、同級の片平君/JH2DOUからハンダごてを借用した。


  2. 初めての1石トランジスタラジオ

    1967年2月(小6)の卒業間近、従兄弟のA君の持っていた「子供の科学」に、1石のレフレックスラジオの作り方が載っていた。バーアンテナコイルμ-#084にポリバリコン、ゲルマニュームダイオード(NEC)とトランジスタ2SA110(松下)、それに出力トランスST-30(山水)とクリスタルイヤホン、電源は単5電池2個と大変簡素なものだった。しかし、前述のゲルマニュームラジオと異なり、アンテナ無しでも何とかイヤホンを鳴らす事ができた。これをトランプケースに収め卒業式の日に友達に自慢した事を思い出す。今思えばこの事が本格的にラジオに関わる最初の出来事だった・・・従兄弟に感謝!である。


  3. 初めての1石送信機

    1967年(中1)頃のラジオ雑誌「初歩のラジオ」で、1石の自励発振器のコレクタ側にカーボンマイクを入れ、強引にAM変調をかける記事を発見。電波を出す事が新鮮で、これをそっくり真似て1石の送信機を作った。家にあった電蓄でその電波を受信しながら、何処まで届くか自転車で移動してみた。自転車には2本の竹竿を建て、その間にビニール電線を張りアンテナとして使った。いわゆる自転車モービルだ。何処からともなく聞こえてくる電蓄の音に、家族中が驚いていた。


  4. 初めてのハンドドリル・ハンダごて・シャシパンチ・リーマー


    1967年(中1)5月の雨の日、学校から帰るとハンドドリルが机の上に置いてあった。あの赤い色したハンドドリル、オヤジが買ってくれたのだ・・・感激だった。値段は\600位だったと記憶している。時代は変わったが現在もこのハンドドリルを大切に持ち歩いている。
    中1になり、ハンダゴテも自分の物が必要だと感じ、太陽電機(goot)の30Wのをユニオン無線から買った。値段は確か\320だった。ヒーターが切れるまで使い、完全に元をとった。
    シャシパンチはラジオの板金工作には欠かせないツールだった。これも同じ頃買ったが、高3の時にローカル局に貸したまま現在に至っている・・・待ちきれず現在は別の物を使っている。
    写真の中央は、34年過ぎた現在(2001年)でも使用しているハンドドリルと、28年間使用している2代目のシャシパンチ、それに現在のハンダごて。ハンドドリルのチャックは数年前に交換、ハンダゴテは太陽電機製のTQ-80(15/80W)スイッチャブル型である。なお写真にはリーマーが写っていないが、これも大切な板金工具であった。ハンドドリルで開けた穴のサイズ変更をしたり、シャシパンチサイズまで広げるのに活躍した。


  5. メタルツールボックス・・・その他の板金ツール


    ラジオ作り最初の段階で必要なのは板金工作である。前項のシャシパンチやリーマと並んで必須の工具達がお菓子が入っていたブリキ箱に収まっている。板金が必要なラジオを作りを始めた頃のドリル歯に始まり、罫書針・ポンチ・タップ・ダイス・はた金・皿もみ歯・ピンバイスシポラツール等々が所狭しと押し込められている。主はその箱を取り替える気配も無い。それは40年近くの歴史とそれにまつわる思い出が一緒に詰まっているからだ。恐らくこの工具達は主の腕の上がり具合をずっと見続けて来たに違いない。セットで購入する道具にはこうした味わいは無い。これからも頼むぞ!。


  6. 初めての真空管式送信機

    1967年(中1)、ワイヤーレスマイクと称して3球の送信機の製作が友達の間で流行った。発振混合管6BE6を使い、発振と変調を行った。回路は5球スーパーの局部発振と同じである。マイク出力は6AV6等で1段低周波増幅され6BE6の第3グリッドをドライブした、もう1本は電源整流用で5MK9を良く使った。6BE6のプレートには同調回路が無くRFCのみであったから、出力は数十mW程度だったと推測する。これで、故郷の清水市庵原第三地区のN君と、杉山地区戸倉の従兄弟A君の所から、山を越えて飛んで来たのには本当に驚いた。


  7. 数知れず作った5球スーパー

    1968年2月(中1)〜トランス式、トランスレス式を問わず、中学時代は数知れない5球スーパーを製作した。しかし現存するものは一つも無く、かつて友人のために製作し譲渡した物を現在捜索中。5球スーパーのラインナップは標準的なものとして以下の組み合わせがある。
    @トランス式MT管なら・・・6BE6/周波数変換→6BA6(6BD6)/中間周波増幅→6AV6/検波&低周波増幅→6AR5/低周波電力増幅、6X4/整流。
    AトランスレスMT管なら・・・12BE6/周波数変換→12BA6(12BD6)/中間周波増幅→12AV6/検波&低周波増幅→30A5/低周波電力増幅、35W4/整流。
    Bトランス式ST管なら・・・6W-C5/周波数変換→UZ-6D6/中間周波増幅→6Z-DH3A/検波&低周波増幅→UZ-42/低周波電力増幅、80/整流。
    これ以外にも一般的ではなかったがGT管、電池管、サブミニチュア管によるラインナップがあった。
    その後、いつしか5球スーパー作りは卒業し、高1中2(高周波増幅1段・中間周波増幅2段)受信機作りに変わって行った。


  8. 真空管式27MHzAMトランシーバー


    1967〜1968年(中1〜中2)製作。当時科学教材社のKitにあった27MHzトランシーバー(2球ニュー・スカイトランシーバー)の製作記事を見て製作した。構成は12AU7と6AR5の2球スピーカー式で、後述する3A5トランシーバーのように、超再生検波と発振器を兼用し、またオーディオ回路を変調器とスピーカーアンプとに兼用してあった。庵原第二地区の友人O君と同じ物を作り、日曜日の度につき合せて交信実験をやった。27MHzと言っても、自励発振だったから、実際にどの周波数でやっていたか、正確なところは不明。しかし、モスクワ放送の開始音楽が鮮明に聞こえていた事を覚えている。都合2台を製作したが、中1の時製作した最初の1台は行方不明、中2になってから製作した2台目は広瀬地区の友人S君に譲渡した。現在後者を捜索中・・・果たして見つかるかどうか。写真左は、当時「初歩のラジオ」に掲載された、科学教材社の広告からのコピー。右は2019年2月、ネットオークションに出展された当時のKit「KAT-271」の写真(これも科学教材社の広告と思われる)をお借りし修正したもの。それにしても懐かしい。思い返すと初めての「0-V-2」短波ラジオだった。


  9. 3A5(50MHz/AM)トランシーバー

    1968年(中2)の作品。直熱型双3極電池管3A5(7Pミニチュア管)を使った50MHzのAM機。フィラメントに単一乾電池、プレートに67.5Vの積層電池を使用。受信は、3A5の半分で超再生検波、もう半分でAF増幅。送信は、検波回路の再生を深くして発振器とし、AF増幅を変調に流用した。AMのつもりだったが、自励発振のためFM成分も多かった。山七のスプリットステーターVCとバーニアダイアルで同調をとった。初めて50MHzの電波を聞いたセットだった。ライセンス取得前で、実際のQSOには至らずスクラップと化し、惜し気もなく次の実験に転用されていった。送信チェックは、もっぱらTVの3chで高調波を聞くのみであった。ラジオ製作を始めて3年頃の貴重なモノクロ写真である。原典はオーム社のワイヤレスマイクとトランシーバー(昭和43年7月10日第7版発行)。右は2001年夏、秋葉原ラジオデパート3Fのサンエイ電機で買ったRAYTHEONの3A5。


  10. 初めてのハムバンド専用受信機

    高校受験を控えた1969年10月(中3)製作。CQ出版の「中学生のハム入門」に載っていた受信機を製作した。原典はGT管で構成されていたが、入手が難しいため一般的なMT管を使用した。バンド毎に30mmΦのプラグインコイルを差し替えてバンドチェンジした。RF増幅は無くIF増幅1段(455KHz)のシングルスーパーで、BFO回路を持ちその出力を2極管検波段でC結合により混合していた。バンドセットVCが局発のメインVCで、バーニアダイアル付きのスプレッドVCで同調をとった。また、アンテナコイル側にも同調VCがあった。安定なSSB受信には難があったが、BFOピッチを変えて行った時、モガモガ音のSSBが初めて音声として聞こえた時の感激は今でも鮮明。SSBが復調できた理由は、高1中2のようにIF出力レベルが高くないため、BFOレベルとマッチしていたためと推測する。この受信機も記憶の中にしかなく、最後は部品取りにされてしまった。なおこの受信機は、よど号事件(1970年3月31日)のとき韓国のKBS国際放送を傍受していた。写真は、原典となった懐かしい「中学生のハム入門」とそこからのコピーである。同書は1968年に、清水市の戸田書店から\300で姉(高2の通学時)に買ってきて貰ったもので、思い出の一冊である。


  11. 高1中2受信機


    1970年3月(中3)、SSBを受信するのに、初めてダイアルから手を離す事が出来た受信機。何台も作った高1中2受信機の中で最後まで残った一台。受信範囲は3.4〜8MHzで、松下電器の3連周波数直線バリコン3DX-18(187pF)を使ったIF=455KHzのシングルスーパー。RFコイルはトリオのSシリーズのS-H、IFTもトリオのT-11、SSB検波は3極管によるプロダクト検波、BFOもトリオのBFO-1コイルによるハートレイ式自励発振だった。ハイバンドは、外部にクリスタルコンバーターを使って3.5MHzバンドに変換した。ダイアルは糸かけ式だが、メインノブの奥にバーニア機構を入れ減速比を稼ぎ、SSBの同調を取り易くした。側面にはJARLのSWLナンバーが書いてある。7MHzのSSB初交信はこれを使ったが、はやる気持ちを抑え切れずのオンエアのためスタンバイ系統が未完成で、送受信の切り替えを幾つものSWでやっていた事を思い出す。原典は、JA1APT/金平OMとJA1QLV/辻OMが「初歩のラジオ」1967年10月号 に発表された製作記事。


  12. 初めてのSSB送信機(CLV-1)


    1971年(高2)の作品。7MHzSSB初運用で、前項の受信機とペアで運用したSSB送信機。3.5/7/21MHzのトライバンダーで、構成は1stIF455KHz/2ndIF5MHzのダブルスーパー。国際電気のメカフィルMF455-10CKを使い、終段は12GB7シングル、ドライブは12BY7Aだった。赤いシールが張られた円筒状の物がメカフィルで、当時\4,950もした。VFOは12AT7によるウィルソン型。その後後述の受信機とペアを組み、初めてトランシーブとタスキがけ運用を行う。SSBにおけるトランシーブ動作の有用性をこのとき痛感した。ダイアルはIDEAL製MD-101で、回転比20:1のギアメカ。


  13. SSB専用親受信機


    これも1971年(高2)の作品。前項のSSB送信機とペアを組んだ。周波数関係は前項の送信機と同じにし、初めてトランシーブ対応とした。VFOは送信機と同じく、12AT7によるウィルソン型。5MHz台の親受信機で、RF同調は3連の複同調としイメージ比を稼いでいる。IFは455KHzで国際電機のMF455-10CKを使い、BFOは水晶発振だった。また初めてAGCに増幅型を採用、受信音の聴きやすさは当時のメーカー製を超えていた。アマチュアバンドは外部のクリスタルコンバーターでこの周波数帯に変換していた。ミキサー(相互変調対策)は、回路方式以前に入力レベル管理が大切と教えてくれたセットで、今でもこの考えは変わらない。両者ともダイアルはIDEAL製MD-101で、回転比20:1のギアメカ。


  14. UY-807シングル1.9/3.5MHzTx

    1.9MHzが解禁されてから数年が過ぎた高2の頃、未だメーカー製にも同バンドは組み込まれていなかった。試しに作ってみた送信機である。源発は水晶(FT-243)で、QSYはそれを差し替えて対応した。完全にC級無線電信送信機である。いかにも間に合わせらしく、パネル面はマジックインキ書きである。終段はUY-807(写真右)、ドライブは12BY7A、発振は6AU6で構成されていた。世の中は既にSSBが主流となり、こうした形の送信機は急激に消えていった。


  15.   HFオールバンドSSB/CWトランシーバー(CLV-2)


    1972年(高2)製作で、それまでのノウハウの集大成。初めてのトランシーバーがオールバンドだった。バンドスイッチの製作に苦労する。同スイッチのシャフトは6mmのベーク棒からヤスリで削りだし、ウエハー支持用の30cmの長ネジは、3mmのピアノ線にダイスでネジを切った。全て手作りであったから、いまでもその作業過程を覚えている。ベーク棒のシャフトが、全てのウエハーを無事貫通するまで、何度も何度も作り直した。終段6146パラレル、ドライバーは6CL6、メカフィルタイプのダブルスーパーで、VFOは6AU6のクラップ型。なお、バリキャップによるRITやVOX/セミブレークイン回路を初めて搭載した。1バンド200KHzで3.5〜28MHzを12バンドで構成、ダイアル1回転当たり25KHzだった。完成から10年近くメイントランシーバーとして活躍し、最も交信回数が多かった。手前は当時使用していた電鍵とマイクで、左から自作複式、ハイモンドのMK-101とHK-710、アイワのDM-520。


  16. トランジスタ式外部VFO


    1972年(高2)製作。CLV-2を作ってから、タスキがけ運用がしてみたくなり実験的に作ったVFO。SSB用として始めてトランジスタを使ってみた。NECのマイクロディスクトランジスタ2SC183を2個使ったバッカー型である。電源は105V(REG)から抵抗を介し18Vのツェナーダイオードを抱かせたシンプルなもの。その後このVFOは、温度特性や周波数安定度の測定結果から温度補償についてまとめ、県工業高校研究論文集に載る事になった。VFOは回路方式以前に機械的強度・部品品質・電源電圧管理・温度管理(温度補償)・負荷管理(特にリアクタンス分)等が重要である事を認識した。


  17.   幻の7MHz SSB/CWトランシーバー(CLV-3)

    1972年(高2)製作。母校無線部(JA2YCH)の長崎先輩JA2WWYより譲り受けたSSBジェネレータに、国際電気のメカフィルMF455-10AZが載っていた。このメカフィルを使い、シングルスーパーのトランシーバーを製作した。終段は6JS6Cで出力50W、ドライブは12BY7Aと標準スタイル。VFOは6AU6のクラップ型で、12AU7によるシングルエンデッドのバランスドミキサーで混合した。完成を見て交信実績を残したものの、何故か最期は部品取りにされてしまい、その姿は記憶の中にしかないが面影は後述するCLV-5に似ていた・・・今となっては実に惜しい。電源を含めLEADのケースに全てを収めた、小型トランシーバーだった。


  18. HFオールバンドSSB/CWトランシーバー(CLV-4)

    1973年製作。この年の4月に就職。母校の無線部(JA2YCH)文化祭に展示させてもらった。ブラックフェイスのトランシーバーとして、地元ではちょっとした話題になった。メカフィルタイプ(455KHz)でコリンズ型のダブルスーパー。終段は松下のS2001シングルで、ドライバーは12GN7を使っていた。VFOは、6AU6一本によるクラップ型であった。フロントパネルとケースは黒のつや消し塗装を施し、レタリングは白文字を使っていてちょっとカッコイイ!。写真右の左側は、本体と同じ大きさの電源とスピーカー。


  19. 7MHz QRP CWトランシーバー


    1973年製作。この年の5月、職場の先輩たちと南アルプス鳳凰三山を縦走した。それに併せて製作したバッテリー駆動のCW専用トランシーバー。送信は、FT-243型の水晶を使った2SC608による発振回路をそのままアンテナに接続した。挿入してある水晶の周波数は7.005MHz。出力は百mW程度だった。受信は、ジャンクのAM用6石シングルスーパーラジオをHFにアレンジし、リング検波器と自励発振BFOを組み込みCW受信を可能にした。局発は、前述の外部VFOを周波数変更して接続した。バッテリーは006Pを3個直列にした。これらとビニール電線で作ったダイポールアンテナを使いQRVした。縦走初日の晩、山梨県の青木鉱泉からのQRVで、スケジュールを組んでおいたJA2HCO(静岡市)との交信に成功した。記念すべき「HF山岳移動初運用」だった。


  20. 7MHzモノバンドSSB/CWトランシーバー(CLV-5)

    1980年(独身最後の年)製作。11.2735MHzのクリスタルフィルターを使用したシングルスーパー。国際電気のメカフィル(MF455-10CK)を使う予定だったが、既に製造中止で入手困難だった。ドライバーは12GN7、終段は6146Bパラレルで横に寝かせ、高さ10cmのフレームに収めている。VFOは6AH6のクラップ型で、1KHz直読としている。CWはコリンズのKWM-2のように、1.5KHzのサイドトーンをキャリアにしている。写真左の上下(2001年8月)は近況。写真左(1979年夏)は、製作過程のVFOボックス内、RF同調とのトラッキングも任されていた。写真右上(1982年頃)は、内部のレイアウトが確認できる。タンク回路の同調は2重ツマミで、内側がプレートVC、外側がロードVCを回した。電源トランスは東芝の白黒TVから取り外したモノ。右下にクリスタルフィルターが見える。


  21. 50MHzリニアアンプ&144MHzトランスバータ(CLV-6)

    1987年、FT-690用に製作。50MHzは2SC2290のプッシュプル広帯域アンプで80W+を出力する。144MHzはFT-290の50MHzをトランスバートする。終段は三菱のSSBパワーモジュールM57717を2個を並列運転し、電力合成し50W+を得ている。送受信ともDBMによるミキサーで周波数変換を行っている。ケースはUL-30を使い、電源も含め全てを収納してある。JARLの保障認定申請時、要請により東京のJARLへ送り検査を受けた、いわくつきの機械である。IMDやハーモニックスをスペアナで確認して送ったのだが、測ったのは出力電力だけだった。


  22. 500Wアンテナチューナー


    1988年の電監検査の際、3.5MHzのロングワイヤーの同調用に製作した500Wチューナーです。間に合わせ気味で作ったため、グランドルートがやや貧弱。母体は秋葉原ラジオデパート3Fの斎藤電気のKit。既に13年を過ぎたが、斎藤電気に行くと同じKitがウィンドウに置いてある。また1994年発行の、CQ誌別冊「アンテナのチューニング技術」の表紙を飾っている。
    VCはシャフトがポリロッドで出来ており、不要なRFの流出やグランドへの流れ込みを考慮してあり好感が持てる。ただKitはRF部品のみで構成されているので、ケースやコネクタ類は自前で用意しなければいけない。
    パネル面のシーソーSWは、チューナーのIN/OUT用で、不要な場合はOUT側に倒して使用する。レタリングはインスタントレタリング後クリアラッカーで塗り固めてある。ワークバンドは直近上位のバンドを流用している。
    現在第一線からは退いているが、アンプやアンテナの実験中に擬似的に整合させたい場合等には出番が回り、大変重宝しているグッズ。


  23. 3-500Z/50MHzリニアアンプ

    3-500Zシングル。CQ出版のリニアアンプハンドブックで見た、ショートリングによるバリLタンク回路に挑戦。出力はワンターンのリンクコイルで取り出す、並列同調直列給電型である。同調容量はストレー容量と球の出力容量のみに依存している。よって回路はハイL&ローCで、負荷抵抗は高目である。入力回路は並列同調回路で、コイルのタップ位置でマッチングを取っている。利得は約10dB、50W入力で約500Wを出力する。1997年4月完成、CQ誌1998年10月号特集参考。


  24.   3-500Z/144MHzリニアアンプ

    3-500Zシングル。この球の上限周波数は、規格表によれば110MHzであるが、敢えてそれを超える144MHzに挑戦してみた。球の造りが大きく、電極の取り出しも細く、必然的にリードインダクタンスが増加する。このため、通常の並列共振回路はその周波数を上げる事が難しい。そこで、直列同調半波回路を出力タンク回路に採用することでこの問題を解決した。入力タンク回路は並列同調で、エキサイターはタップダウンしたコイルをドライブする。20Wの入力で約500Wを出力する。途中から3-500ZGC(グラファイトプレート・中国製)に交換。1997年9月完成、CQ誌1998年10月号特集参考。SM0NCLのホームページに、この記事の紹介があります。


  25.   GU-74B/4CX800A/50MHzリニアアンプ

    GU-74B/4CX800Aシングル。初めてロシア球を使ってみたが、そのコストパフォーマンスの高さに驚く。入力20Wで飽和出力1.1KWを得る、グリッド接地カソードドライブアンプ。入力はπ型タンク回路、出力はπL型タンク回路で高調波除去を狙った。入力π回路は可変同調型で、バンド幅が広い50MHzにおいて、SWRの上昇を抑えるのに効果的。青地のアルマイトパネルが独特の雰囲気を醸し出す。スクリーン電圧は280V、コントロールグリッド電圧は-47V(両者安定化)。プレート電圧は2500Vと2100Vを切り替える。1999年9月完成。CQ誌2001年5月号表紙及びHRJ参考。


  26.   GU-74B/4CX800A/1.8〜50MHzリニアアンプ

    GU-74B/4CX800Aシングル。カソード接地グリッドドライブアンプ。カソード抵抗で若干のNFBが掛かっている。HFに50MHzをプラスした事が最大のエポック。入力は非同調LPF(60MHz)回路で全バンドSWR=1.3以下。出力タンクはπ型回路。HFで出力900W+、50MHzでも800Wを得る。マルチバンド化で50MHzコイルの発熱対策、プレートRFCのホール対策、バンド切り替え機構、補助コンデンサの切り替え等に工夫をこらす。電極電圧は、スクリーン電圧のみ300Vとした他は、上記50MHzアンプと同じである。2000年9月完成(2001年7月CQ誌へ寄稿)。


  27.   5T31/450TH/3.5〜21MHzリニアアンプ

    ガラス球5T31/450THを使ったGGアンプです。SOTECのPCケースに収めてみましたが、中々のルックスでしょう!。バンドは3.5/7/10/14/18/21MHzの6バンドです。入力回路は非同調広帯域トランス方式で、エキサイターのATU(AutomaticAntennaTuner)に大いに依存しています。出力は一般的なπ型タンク回路ですが、プレート負荷抵抗が高めなので、WARCバンドは単独に設けています。プレートに3.5KV、グリッドバイアス-105Vを与え、グリッド接地で動作させています。この球は電極間の距離があるためμ(増幅率)が低く、入出力インピーダンスがハイμの3-500Z等に比べ圧倒的に高くなります。また、GGでもGKで使う場合でも、グリッド電流を十分(30〜40mA)流す程にドライブしないとプレート電流が流れません。しかしIMDの劣化は殆どありません。130W程度でドライブすれば単管で1KW(効率70〜80%)の出力が望め、驚くほどの直線性が得られます。2002年3月完成。


  28.   GU-74B/144MHzリニアアンプ


    久しぶりに144MHzに挑戦した。GU-74BシングルのGKアンプで、AC100V受電ながら50Wドライブで約1.2KWを出力する。入力回路は50Ωのダミーチップで終端し、球の入力容量約50PFはリードインダクタで共振させキャンセルしている。この時のチューニングはリードインダクタに直列に入れた小容量のVCで行っている。出力回路は本機の最も特徴的な部分で、λ/4同調ラインを円弧状にベンドし、その中でショートリングを回すバリLで行っている。また出力の取り出しは同調ラインからタップ出ししロードVC経由で負荷に直列給電する。法定最大電力である600Wの連続キーダウンを保障している。入力回路でインピーダンスのステップアップを行う事で容易に利得を上げる事が可能であるが、オーバードライブ等の危険を回避するために50Wを前提として設計している。実験や研究の目的もあり、製作時間に凡そ1年を要した。製作過程をWebで紹介しているが、この一風変わった出力回路に海外からの問い合わせも多い。2003年12月完成、2006年7月落成検査合格。


  29.   GU-84B/50MHzリニアアンプ


    友人のY氏にロシア球GU-84Bでの50MHzリニアアンプ製作を勧めた手前、自分でも製作する事になったアンプ。3KVA電源トランスを含む全体の重量は50Kg弱にも及び、それなりに気合を入れて持たないと腰を痛める。定格は法廷電力1KW(上限20%=1.2KW)である。実力は50Wのドライブで約3KWを出力するが、ALCによる出力制限を掛け落成検査を合格している。
    特徴は写真が示す様に、ショートリングを使ったバリアブルインダクタ(通称バリL)によるπL型プレート同調回路だろう。50MHzバンドの約2/3をショートリングの回転90度で同調を取ることが出来る。プレートに3.1KV(全負荷時)、Sgに310V(Reg)を掛け、4極管の安定運用領域「Esg<Ep-ep」を守る運用により安定な動作を示している。友人Y氏のアンプは通常のVCによるπ型で製作されたが、同様に安定な動作を示している。2005年6月完成、2006年7月落成検査合格。


  30. Pc-Rx(ダイレクトコンバータ)

    DOS/Vパソコンに組み込んだダイレクトコンバータ(アルミダイキャスト部分)。拡張スロットに組み込んだPV-VFOjr(米ByteMark社製)が局部発振器で、制御はパソコンの画面で行う。復調後の処理はクロマサウンドのDSPソフトで行う。これもパソコンの画面で制御する。復調波形のスペクトラムが表示され、フィルターの特性やノイズリダクションモードが自由に設定できる。ダイレクトコンバージョンで周波数変換が一度しか行われないため、歪が少なく、驚くほど綺麗な復調音となる。ただ、PC内部への設置は、飛び込みが多く厳重なノイズ対策が必要である。CQ誌2000年3月号特集、または4月号グラビア参考。上はクロマサウンド、下がPC-VFOの操作画面。操作の殆どはマウスで行うため、周波数変更等は慣れが必要である。自局のオンエアモニターや後述する測定器として使用している。前述のように、周波数変換を一度しか行わないため復調音は驚くほど忠実である。1999年12月製作。


  31.   Pc-RxとFFTソフトウェアによるIMD測定


    ツートン発生にフリーソフトのウェーブジェネレータ、FFTソフトにシェアウェアのウェアのウェーブアナライザを使用してIMDを測定する。Pc-Rxはダイレクトコンバージョンのため、逆サイドバンドが0Hzを境に折り返して来る宿命がある。このため、局発に4KHz程度のオフセットを付け表示させている。画面は、GU-74Bの50MHzアンプを測定中のもの。ノイズフロアが高いのは、この周波数では局発のピュリティがノイズで悪化するため。一般のスーパーヘテロダイン受信機の出力は、IFフィルターのf特に依存するが、この方式では良好なf特を容易に得ることが出来る。右はPCのISAスロットに実装するPC-VFOjr本体で、DC〜54MHzを+7dBmで出力する。


  32.   IC-756-HamLogインターフェイス


    IcomのIC-756(Icom無線機用)から周波数・バンド・モード等をログソフトHamLogで読めるようにするインターフェイス。IcomからはCT-17売られているが大した回路でもないのにそれなりの価格である。これがあると交信時にいちいちバンド・周波数・モード等を手打ちで入力する作業から開放される。一度使うと手放せなくなる。回路はいたって簡単で、Maxim社のRS-232Cドライバー&レシーバーIC(MAX232CPE)1個で無線機側とPC(COMポート)とのレベルを仲介する。写真左はケーブルをつないだ状態で、右はその内部。大きさはほぼトランプケース大。RS-232Cは25P_D-SUBコネクタ、無線機側はミニジャック、電源は外部のACアダプターを使っている。なおこれ以外にも別の方法でCT-17もどきを製作している。


  33. 公民館展示「私のハムライフ」


    1979年7〜8月、出身地の清水市庵原地区で、当時の庵原公民館長梅田一郎氏のはからいにより、個展「私のハムライフ」を行った。それまでに製作した無線機器や交信して得た内外のQSLカードを展示、屋上に7MHz用ダイポールアンテナを張り、オンエアできるシャックも設置し公開運用も行った。公民館報にも載ってしまい、当時は大変恥ずかしい思いをしたが、今では懐かしい思い出だ。写真は庵原公民館玄関ロビーに仮設したシャック。自作のオールバンドトランシーバーが2台並び、7MHzのSSBとCWの運用を行った。


  34. 1980年頃のシャック


    1980年頃の実家のシャック。調整中のCLV-5が机の上にあって、シャシ上と下が覗けるようにカバーを外してある。よくこんな面倒な事をしていたものだと、あらためて当時の事を思い出してしまう。後方に自作無線機や測定器が見える。恐らくQSOをやりながら自作を楽しんでいたものと思う。下手に見えるのは、名古屋に転勤したとき、後輩のS君から譲り受けたFT-620。


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